興教寺:玄奘三蔵が眠る静寂の地
翌日は、西安郊外に位置する興教寺(こうきょうじ)へと向かった。タクシーで1時間以上の道のりだが、中国のタクシーの安さには驚かされる。前日の草堂寺への往復(待ち時間を含め4時間半以上)でも約200元(約4,500円)。この手軽さが旅の助けになる。
ここ興教寺には、玄奘三蔵の遺骨(舎利)が祀られている。聞くところによると、文化大革命時、宗教活動は停止させられたものの、建築物の被害はなかった。これは周恩来の指示によるものだという。まさにこの旅の初めに再会した教え子のことが、いまになって静かな重みを帯び、この地での体験とつながってきた。
境内を一巡りし、一番奥にある釈迦像を祀った慈恩塔院(Jie’en Pavilion)へお参りした後、いよいよ玄奘が眠るストゥーパ(仏塔)へ。大慈恩寺の大雁塔をひと回り小さくしたようなその塔は、満開の桜並木に囲まれ、えもいわれぬ静寂の中に佇んでいた。
本堂は修復中だったが、その他の場所はすべて開放されており、偉大な先駆者の魂に深く手を合わせることができた。玄奘三蔵の情熱は、常に私のインスピレーションの源だった。思えば、彼の物語への憧れから、私はいつしか「異文化に懸ける橋でありたい」という夢を持ち始めたのだ。時を超えた再会に感謝を込め、静かに合掌した。

玄奘の舎利塔。この塔と脇に建つ玄奘の2人の弟子の舎利塔は2014年にシルクロード:長安-天山回廊の交易路網の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
大興善寺:密教の興隆と生存戦略
次に向かったのは、前日に訪れた大慈恩寺からほど近い大興善寺(だいこうぜんじ)。ここは、インドで7世紀頃から広まり始めた「後期大乗仏教」、いわゆる密教(金剛乗)の拠点である。

大興善寺。抽象的な論理を超え、人々の願いに応えようとした密教のダイナミズムが息づく。
当時、ナーランダ僧院などの学問寺院では、唯識などの教理研究が高度に専門化し、一般民衆の信仰から乖離しつつあった。同時に、勢いを増すヒンドゥー教に圧倒され始めた仏教は、独自の生存戦略として「密教化」を推し進めることになる。 抽象的な論理だけでなく、呪術やマントラ(真言)を用い、煩悩をそのまま悟りに変える「即身成仏」を説く。民衆の現世利益的な願いに応えることで、仏教はその存在を繋ぎ止めたのだ。
大興善寺は、インドから渡来した金剛智(こんごうち)、善無畏(ぜんむい)、不空(ふくう)といった名僧たちが経典を翻訳した、中国密教の根本道場である。境内ではたくさんの白い鳩が舞い、観光客が憩う穏やかな光景が広がっていた。

中国でよく見かける「社会主義核心価値観」。この国では宗教施設も含めて社会全体で同じ価値観を共有するという立ち位置が示される。
だが、その静けさの中で、ふと私は別のものに目を留めた。山門の脇に、「社会主義核心価値観」と記された看板が、まるで風景の一部のように掛けられている。様々な寺を訪れるたび、私はこのような同じ光景に出会った。香の煙はゆるやかに立ちのぼり、人々は静かに手を合わせている。その傍らで、言葉だけが少し異なる時間を生きているように見えた。
はじめ、その取り合わせに戸惑いを覚えた。けれども、いくつもの寺を巡るうちに、その違和感さえも、やがて風景の中に溶けていった。ここでは、祈りもまた現実と切り離されることなく、ひとつの秩序の中に息づいているのだろう。中国共産党の掲げる言葉は、信仰のためのものではない。それでもなお、寺はそこにあり、人は祈る。
そのことの静けさを、私はしばらく立ち止まって見ていた。
青龍寺の奇跡:空海が見守った「3月21日」
長安の旅のクライマックスは、不空三蔵に師事した恵果阿闍梨(けいかあじゃり)の寺、青龍寺(せいりゅうじ)だ。 タクシーで寺の名を告げると、それまで無口だった運転手が急に饒舌になり、いかにそこが素晴らしい場所かを熱心に語り始めた(息子の通訳でその熱量を知った)。

タクシーの運転手が熱弁を振るった聖地。1200年前、若き空海が密教のすべてを託された歴史の特異点
到着すると、そこは大変な人だかりだった。青龍寺は、日本の空海が恵果阿闍梨から法を受け継ぎ、日本に密教を伝えることになった真言宗の原点である。 しかし、ここで予期せぬ事態が発覚した。あまりの人気ゆえ、数日前のオンライン予約がないと入場できないというのだ。全員が落胆に包まれる中、ふとスマホで日付を確認して驚いた。 「3月21日」――なんと、この日は空海様の御命日ではないか。
「今日という日に、お参りせずには帰れない」 私は決意を固め、祈るような思いで翻訳機を役人に向かって突き出した。「日本からこの日のために来ました。今日は特別な日なのです、どうか、どうか入れてください!」 執拗なまでの熱意が通じたのか、奥から出てきた上役が、顎で「さあ、入れ」と合図を送り、門を開けてくれた。空海様が導いてくださったのかな?と感謝の念が込み上げた。
桜の下のダイナミズム:継承される「生きた教え」
境内は、まるで上野公園の桜シーズンのような賑わいだった。満開の桜の下に出店が並び、大勢の中国人観光客はお花見気分でスマホを向けている。中には日本のアニメのコスプレで自撮りをする若い女性も沢山いた。
そんな観光気分満載の喧騒の中にあって、境内の一角には荘厳な空気を纏った空間があった。日本の仏教団体が寄贈した記念碑や、恵果が空海に法を授ける瞬間の像が建っている。 延暦24年(805年)、遣唐使として長安に渡った空海を迎えた恵果は、「私はお前が来るのをずっと待っていた」と告げ、即座に弟子として迎え入れたという。通常20年はかかるとされる密教のすべてを、恵果は自らの死期を悟り、わずか数ヶ月で空海に授け切った。師から受け継いだ貴重な曼荼羅や経典は、今も「請来品(しょうらいひん)」として日本に息づいている。真言宗は、間違いなくここで産声を上げたのだ。
こうして私は、長安という街が、初期仏教から大乗、そして密教へと至るインド仏教の全軌跡を飲み込み、昇華させてきた歴史を肌で感じることができた。 長安での巡礼を終え、翌日は西安西駅から寝台列車に乗り込んだ。次の目的地は、はるか東の寧波(ニンポー)。23時間に及ぶ、鈍行列車の旅が始まる。(次号につづく)

)西安から寧波へ。23時間の揺れは、かつての求法僧たちが歩いた「距離」を噛みしめるための、贅沢な時間だった。
藤倉健雄
Ph.D 教育演劇学博士。 ニューヨーク州立大学修士課程を経て、ウィスコンシン大学演劇学部博士課程修了。現在早稲田大学国際教養学部講師。プロのマイム集団、カンジヤマ・マイム主宰。演劇的要素の教育的応用を常に研究の柱としている。NHKテレビ「おかあさんといっしょ」の身体表現コーナー「パント!」の振付、監修を始め、様々な教育番組を振り付け、同時に出演している。日印文化交流ネットワーク幹事
The post シルクロードの東端で、インド仏教の時間を歩く(その二) first appeared on つながる!インディア.
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