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2021年11月18日木曜日

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(公式コメント)
サンガムをここでは「お見合い」と訳しましたが、ちょっと訳しすぎかもしれません。サンガムは普通、河川の「合流」や、人々の「寄合」などを意味する言葉(サン=一緒に、ガム=行く)ですが、ここでは明らかに「お嫁さん探し」の文脈なので、「お見合い」としてみた次第です。

後半、ヒンドゥー教の宗派がらみの用語がいくつか出てきています。「マドヴァ派」というのはマドヴァという神学者(?)の説く、二元論神学を宗旨として奉じるヴィシュヌ教徒。スマールタというのは、スムリティ(聖典)に依拠する宗派ということで、おもにシャンカラの説く教説に従い、聖典に説かれる5柱のメジャーな神(ヴィシュヌ、シヴァ、シャクティ、ガネーシャ、スーリヤ)を平等に奉じる宗派です。

一方で、アイヤンガーというのはタミル語圏、テルグ語圏に多い宗派で、ラーマーヌジャの教説に従ってヴィシュヌ神を尊崇する宗派になります。アイヤンガーは南インドによくある苗字としても知られていて、ヨガ行者のB.K.S.アイヤンガーなどは日本でも有名ですね。

この系統のヴィシュヌ派はさらに内部で二派に分かれていて、それが記事にもでてくるテン(猫)カライとヴァダ(猿)カライです。これは何の違いかというと、神の救いにあずかる時に、われわれ人間の方でも何かしらの努力(自力)をする必要があるのか、ないのか、ということに関係する話です。母猫が子猫を運ぶというとき、母猫は子猫の首を噛んでぶら下げて歩きますよね。このとき子猫は移動するのに何の力もつかっていません。一方、猿の母子の場合、子猿は母猿のおなかにしがみついて母親に運んでもらいます。この場合、子猿は自分の力で母親にしがみつくという努力をしていることになります。この二つのあり方をそれぞれ人間が神に救ってもらう、という場面に引き当てて考えて、テンカライの方は「神に全てお任せでいい」と主張し、ヴァダカライのほうは「最低限、自分の力で神にしがみつくという努力は必要だ」と主張している、というわけです。

さて、記事の中で学者さんがバラモン男性が結婚できない要因の一つとして、派手な結婚式を挙げたがる、ということをあげていましたよね。これはインド特有の風習といっていいと思いますが、この国では伝統的に、結婚して旦那さんの家に入る時に、お嫁さんが自分に相応しいと思う額の持参金を用意する、ということになっているのです。これをダウリーと言います。結婚式の費用もその一環で、お嫁さん側の家が持つというのが伝統になっています。もちろん、持参金をいくら用意しろ、みたいなことをあからさまに言うことはないのでしょうが、いやらしいことに、嫁ぎ先の家では、持参金の多寡でお嫁さんの扱いが変わるなんてことはザラにあるわけです。

そんなわけで、見栄と娘可愛いさがあいまって、お嫁さんの方の親は、可能な限り沢山持参金を持たしてやろうとします。なかには土地や車を売って、そのお金を調達する、なんて親もいるわけですね。その辺りの欲や人情が絡み合って、ときに感動的な人間ドラマが展開したり、陰惨な事件が起こったりするのですね。「結婚できないバラモン」もそうしたダウリーを巡る人間模様の一つ、ということになっているようです。

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