第3回もう一つのマイナー競技/カラリパヤットその3 カラリ上陸!?
「秘伝」という武術雑誌を、時々、読んでいるので、大分前から浅見千鶴子という方がカラリヨーガといって、カラリパヤットとヨーガを教えている事は知っていた。日本ヨーガ禅道院で発行している「たいまつ通信」令和3年の118号によると、2001年にカラリと遭遇し、以来、ヨーガやアーユルヴェーダと共にカラリパヤットを学び、2006年に帰国している。
身体訓練としては動物の型など一連の動きを学ぶが、見せ場は武器法である。一人だけの表演では限界がある。2011年にヴァスコ・ダ・ガマが上陸したカリカットの道場、CVNカラリから師範代のニディーシュ・カリンビルを招くことが出来て、表演と指導に厚みを増した。
彼の父と伯父は大家族の同じ家で育ち、伯父からカラリパヤットを習った。家族に男の子は彼一人だった。厳しい修行に明け暮れて、また、マッサージによる治療をしていた。ジャッキー・チェンに武術指導をしたり、映画や舞台に出て、インドのみならずヨーロッパ各地で巡業した。まさに、カラリパヤットの第一人者となった、道場の大事な跡取り息子である。
それがどうしたことか外国人と結婚して、日本に住むことになってしまった。インドでは外国人と結婚するのは大騒ぎ、猛反対にあうのがふつうである。しかも、伝統芸能の家を守るのは大変なプレッシャーだ。
お二人の誠実な人柄によって周囲の理解を得て可能になったのだろう。日本に渡ってカラリを伝導するのも大切な使命だという結論に至った。先日、初めてお二人にお目にかかることが出来て、カラリの将来について話し合った。現在は埼玉県の入間市に住んで、カラリパヤットの道場建設を志している。大スポンサーを得ないと建設は難しい。ケーララ出身のIT長者は日本にいないものか。
少林寺拳法は達磨大師が香至国カンチープラムからもたらしたと言い伝えられている。禅の公案に「如何なるか是れ祖師西来意」というのがある。つまり、達磨大師が南インドから中国にわざわざ渡ってきたのには、どんな意味があるのかということだ。これに対して師の趙州和尚は「庭前の柏樹子」と答えた。これじゃこれじゃと柏の木を指さした。自然の成り行きと解説するのも蛇足か。
グルカルとなったニディーシュが来日した意味は、10年、20年経って分かるのかもしれない。日本に住むマラヤーリ、ケーララ州出身者と日印人物交流を深め、様々な武術やスポーツ競技、舞踊と技術交流をしながら、新たな日印時代の創世ができないものか。
トリヴァンドラムの街角
オッタ武器術クラス
キック_ストレート
盾と剣
武器術オッタ
河野亮仙 略歴
1953年生
1977年 京都大学文学部卒業(インド哲学史)
1979年~82年 バナーラス・ヒンドゥー大学文学部哲学科留学
1986年 大正大学文学部研究科博士課程後期単位取得満期退学
現在 天台宗延命寺住職、日本カバディ協会専務理事
専門 インド文化史、身体論
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