般若心経の秘密の鍵を開けたのは
弘法大師空海が若き日に大安寺で学んでいた頃、法華寺の隅の寺、海龍王寺に通って、毎日、百巻ずつ千巻を書いて天井裏に籠め置かれたという伝承があり、高野山正智院所蔵『十巻心経』の付属文書にその旨が記されている。両寺間の距離は約5キロ、早歩きで1時間。
しかし、隅寺心経の中には天平勝宝7年と記されたものもあり、天平年間に書かれていたことが分かる。また、仮に心経一巻を30分で書いたとしても、24時間で50巻書けないので、いくら弘法大師でも無理な話だ。大師の超人ぶりを演出した伝説である。
鳩居堂などに行くと「弘法大師 心経」という極め札の付いたお手本と写経用紙のセットを売っている。大師筆でなくても見事な書である。
国宝『聾瞽指帰』は若き日の弘法大師の著作だ。儒仏道を議論し、仏教が優越することを説いた出家宣言とされる。
これも真言宗の宗外、書家によっては大師自筆ではないとの見解が示される。また、弘法にも筆の誤りがあるので、草稿ではないかともいわれる。この時代に、これだけの書を書ける人物が他にいたか、弘法大師は天才だから、若い時(24歳)にはこういう書きぶりもありえたと認められている。
従来、『聾瞽指帰』は『三教指帰』の草稿とされていた。『三教指帰』は何年か後、あるいは40歳を過ぎて自ら書き直したものと理解されてきた。しかし、古い写本がないこと、文体の点から大師の著作ではないという見解も河内昭圓『三教指帰と空海:偽撰の文章論』によって示された。元の『聾瞽指帰』についても残る写本は古いもので平安末期だ。
序が置き換えられていて自伝となっている。幼名が真魚とされ、出家得度して空海となるが、その間の修業時代に何と名乗ったかは分からず、記録をたどれない。空白の7年の間に唐に渡って下見して準備したのではないかといいたくなるくらいだ。
留学生としての成果を示す報告書ともいうべき『請来目録』(東寺所蔵『上新請来経等目録表』)は、長く弘法大師真筆と信じられてきたが、近代に至って伝教大師が書写したものと確定した。両大師は共に王羲之の書に学び、また、隣に弘法大師の書を置いて書いているのだから、似てくるのは当たり前である。
密教から真言宗へ
密教とは師から弟子へと、直接、印や真言を授ける秘術である。元々はインドのまじないで、請雨法とか敬愛法、息災法、降伏法(呪詛)、蛇やサソリにかまれた時の解毒とか、ばら売りしていた。それなりの資格があり、伝授の儀式を行うための支具料を支払って習うことが出来る。この秘術を師からもらい受けると稼げるわけだ。
子供が欲しい、試験に受かるようにとか、出世したいという個々の願いを叶えるものだったが、密教思想の進歩と共に観想法が発達し、即身成仏を願う法式となる。それは『大日経』『金剛頂経』に詳述されている。
空海は805年5月、恵果阿闍梨と出会い、両部の大法を授かる。その12月に師僧恵果は入寂する。翌年3月長安を発ち越州に向かい、さらに経典を収集。8月に明州から帰国の途につき10月帰国。
曼荼羅は店で売っているものではなくて、専門の絵師に発注して制作するものだ。恵果は空海のために宮廷の絵師十余人を雇い大曼荼羅等十鋪を描かせた。いくら工房で分割して制作するにしても果たして数ヶ月という短期間に描けるものなのか、検証した人はいない。学者に職人の技術は分からないからだ。写経生や鋳物師なども雇い、儀式のための密教法具等も準備した。
入門前から接触して準備したのではないかと想像するが、大曼荼羅は売るとしたら、一鋪数千万円だろう。恵果の元には今日の価値でいったら三億円相当が渡ったのではないか。ほくほく顔で空海を迎えたに違いない。それは青龍寺として受け取り、写経生や職人に支払い、私する訳ではないが。
空海が灌頂という儀式と共に教えを受けたというが、恵果が果たしてどれほどの学者であったのかは知られていない。宮廷付きの祈祷師という意味で不空阿闍梨の後継者であって、真言教学というのはほとんど空海の独創ではないかと思う。
密教は個人の技術なので、中国、インドにも真言宗というのはあり得ない。それでは根拠がないということになり、日本では通用しないので、真言八祖を唱えた。
付法の八祖というのが、大日如来、金剛薩埵、龍猛、龍智、金剛智、不空、恵果、空海で法脈を示す。これでは、あまりに神話的であり、大日経を伝えた善無畏、共に翻訳した一行が漏れているので伝持の八祖を作り上げた。それは龍猛、龍智、金剛智、不空、善無畏、一行、恵果、空海。密教をインド・中国・日本へと広めた歴史的系譜で、空海が金剛界、胎蔵界の両部を伝承している正統性を示す。
般若心経秘鍵
空海の『般若心経秘鍵』には古い写本がなく、東寺観智院所蔵の江戸初期のものが最も古い。その注釈にしても1097年の済暹のものが最も古い。そこからまた、本当に空海の著作だろうかという疑問もあるが、真言宗内で疑われることはない。ただ、その上表文については後世のものと認識されている。
『秘鍵』で用いられている般若心経本文は羅什訳と示されているが、大正新修大蔵経にある羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明呪経』より玄奘訳に近い。羅什の訳語、観世音菩薩ではなく玄奘版の観自在菩薩が用いられている。大明呪ヴィディヤーとは心真言フリダヤのことで、真言が般若心経の本質であることを開示した。
『秘鍵』が示す羅什訳にはタイトルに仏説摩訶が付き、遠離一切と本来の玄奘訳にはない一切が付く。ここで採用された羅什訳も一つの流布本で、実見したと思われる。通常使われる玄奘訳ではなく、この流布本を採用したのは、おそらくタイトルに仏説が付いていたからであろう。
心経は観自在菩薩が主人公で、法を説いているように見えるかもしれないが、説法するのは釈迦牟尼仏であるから仏説を強調する。そのため、今日も真言宗が読む経本の心経には仏説摩訶が付く。
玄奘が観自在菩薩行深般若波羅蜜多時と訳すと、昔々ある時、観音菩薩はふと思ったみたいに受け取ってしまうが、サンスクリット原文はチャリヤーム・チャラマーナで現在も進行形で修行中なのだ。
仏説が付くのは980年の施護訳『仏説仏母般若波羅蜜多心経』と700年とされる義浄訳『仏説般若波羅蜜多心経』のみである。
実際に義浄が翻訳したかどうかはともかくとして、江戸時代の版本『異訳心経並梵本』には義浄訳『仏説般若波羅蜜多心経』が載っている。1762年の版本の前に写本があったことになる。ギャテイギャテイの句が梵字で書かれているのでそれを採用した。
空海は梵語が密教学の要と考えているので、『秘鍵』においてもギャテイ句は梵字で書かれている。義浄訳には功徳文が付いていて、「この経を誦せば、十悪、五逆、九十五種邪道を破らん云々」とある。
弘法大師は学がありすぎて、『聾瞽指帰』にしても今は使われていない漢字が多く、中国語として書いているので読み下しにくい。衒学的で、当時、最高の教養を持つ人にしか読めない。それらと比べると『秘鍵』は比較的分かりやすい。序の詩文など堂々としたものでさすが空海と感じるが、こじつけがましい所もある。ひょっとして後世の学僧が書いたものではないかという気がする。日本漢文の癖が出ているか語学的に解析するとヒントが得られるだろう。
大心真言三摩地法門
空海は「大般若波羅蜜多心経とは大般若菩薩の大心真言三摩地法門なり」という。これが近代に至ってもなかなか理解されていなかった。真言僧は『秘鍵』をお経として読誦するので、そのまま飲み込んでしまっているようだ。
一般に般若心経は大般若経の心髄、エッセンスと理解されている。しかし、心フリダヤというのは心呪、心真言のことで、般若波羅蜜多菩薩の肝心の真言を説くのが心経であり、心真言は般若菩薩の悟りの境地を表している。そしてそれは顕教ではなく密教経典であると空海は主張する。このど真ん中の直球は速過ぎて見逃していたようだ。
呼び出して目の前に姿を描いて一体となること三摩地とは三昧、サマーディのこと。ここでサーダナという言葉は使われていないが、意味するところは同じ、観想法、成就法のことである。
空海がギャテイ句の言及がある『陀羅尼集経』についての講義を受けたかどうか分からないが、観想法の基本的なことは理解していた。
近代的な目で見ると、短い小本心経の本文を序分、正宗分、流通分と『秘鍵』が区切るのも無理筋だし、華厳、三論、声聞、法相、縁覚、天台の修行と悟りの境界、仏教のすべての教えが説かれているとするのも強引だ。蛇に足を描いたようなものだ。
しかし、「大般若菩薩の大真言三摩地法門なり」と見抜くのは、空海以外に考えられない。その骨格、鍵だけ記した要文に後世の真言僧が敷衍して書き継いだのだろうか。小賢しく感じる。
平安時代にこのような見解に達したというのは驚異である。空海は長安でインド僧、般若三蔵から梵語を習っているので、サンスクリット語の女性形、般若菩薩プラジュニャー・パーラミターが女尊を表すということを知っていた。真言というのは神仏への呼びかけであることも知っていたはずだ。
真言は中国語なまりではなくて、正確にサンスクリット語として読んで発音すべきと空海は考えた。そういうトレーニングを受けたはずだ。中国語には長母音、短母音の区別がない。呼び出すのに里さんか佐藤さんかはっきりしないと困る。観想によって現出した仏格と一体となるのだから。
菩薩が修行して悟りの境地に至るのは最高の智慧プラジュニャーのおかげである。つまり、仏を生み出すのはプラジュニャー・パーラミターが人格化した女尊で、聖仏母とも呼ばれた。
般若心経の秘密の鍵を初めて開けたのは佐保田鶴治である。般若波羅蜜菩薩の心臓、フリダヤである真言を開示したのが心経で、この大神呪、大明呪によって一切苦厄を乗り切ることが出来る。それは真実語であり、効果がないことはない。その『般若心経の真実』を佐保田先生からサイン入りで頂戴したのがわたしの自慢である。衣鉢を受け継いだ気持ちでいる。
漢訳に経という名が付いて、陀羅尼経典ともいわれる。本来の梵文タイトルに経、スートラの語はなく、プラジュニャーパーラミター・フリダヤと称している。小本系般若心経は、序分、正宗分、流通分という区分を持つ経ではない。
正宗分に見えるのは、真言を解き明かすための前振りである。空の思想が説かれるのは、根拠のない俗なまじない文句ではなくて、大乗仏教の根本から見て真実なのだよと主張するため予防線を張っているからだ。
女尊に呼びかける
半世紀前、桃山にある佐保田先生の道場で般若心経を一緒に唱えた。「ギャテイギャテイ」の真言を三回繰り返してからソワカを唱える。
それは佐保田がインドでヒンドゥー寺院の護摩に参加した時、バラモンがマントラを何回も繰り返した後に、香をつまんで護摩炉に捧げながらスヴァーハー、神様にお届けしますよと唱えるのを体験したからだ。
般若心経の大心真言とは、ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハーであるが、これを佐保田は、至りたもうた尊妃、至りたもうた尊妃、彼岸に至りたもうた尊妃、彼岸に至り終わられた尊妃にまします菩薩(ボーディ)さま、わが献げものをご嘉納あれ!と訳した。献じますというスヴァーハーの語以外はすべて文法上の呼格、呼びかけである。
パーラミターを彼岸、悟りの世界に至った者と解釈すると、向こう岸に渡り終わった者パーラサンガテーはパーラミターと同じ意味だ。ガテーはガターという女性の形容詞の呼格である。般若菩薩を呪の中では菩提菩薩と呼びかけて、ボーディも呼格と佐保田は理解する。
般若心経はヒンドゥー教の影響を受けて密教が興ってくる時代、4世紀頃の成立。観音菩薩の三十三現身は、ヴィシュヌ神の十化身、アヴァターラの影響を受けている。観自在菩薩、菩薩が自在神を観た、観想したということは、自在神を目の前にありありと浮かべて合一することを意味する。
そして、観音菩薩は般若波羅蜜多菩薩と同体である。また、ターラー菩薩(渡す者、救う者という意味)、シャクティ(世界の根源たるエネルギーである女神)で、解脱をもたらす者と理解できる。
心経の冒頭に、観自在菩薩は「深遠な最高の智慧」の行法について修練するなかで、人間存在を構成する5つの要素を観照し、これらすべてが実体のないことを見抜き、人生の不幸、苦難をことごとく超えられたとある。
そのモデルを我々も追求して向こう岸、悟りの世界に渡ろうというのが般若心経の主題である。悟りを求めるボーディサットヴァ、菩提薩埵の指針である。
佐保田先生、善哉善哉と誉めてくれるかな。
「般若心経の迷い道」完
参考文献
越智淳仁『密教瞑想から読む般若心経』大法輪閣、2004年。
勝又俊教『秘蔵宝やく・般若心経秘鍵』仏典講座32、大蔵出版、1977年。
佐保田鶴治『般若心経の真実』人文書院、1982年。
松長有慶『空海 般若心経の秘密を読み解く』春秋社、2006年。
河野亮仙 略歴
1953年生
1977年 京都大学文学部卒業(インド哲学史)
1979年~82年 バナーラス・ヒンドゥー大学文学部哲学科留学
1986年 大正大学文学部研究科博士課程後期単位取得満期退学
現在 天台宗延命寺住職、日本カバディ協会専務理事
専門 インド文化史、身体論
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