マハラシュトラ州 lonavalaにあるヨーガ道場 kaivalyadhama に着いたのは、夕方でした。
「ちょうど今からお祈りがあるよ!」と、庭の端の方にある小さなお堂のようなところに連れていかれました。
そこで耳に入ってきたお祈りの歌(バジャン)を耳にするや否や、私は何かとっても懐かしいものを感じ、突然、涙が溢れてきたのでした。
そんな中、魂の故郷というような感じもあり、とても落ち着いてそのアシュラムに滞在することができました。
毎日のアーサナの練習も気にいって続けていましたが、その頃、いらっしゃったかなり年老いたおじいちゃまのスワミジがとっても可愛らしくて、 “ゆみこ” を “you(ゆ)“ “me(み)” “company(こ)” ‥‥… 私とあなたは仲間だよ〜!と手ぶり身ぶりでおどけるように言って下さり、とても親しくさせていただきました。
また、そのアシュラムのドクターの息子さんウジュワルujwalさんがバラタナティヤムのダンサーだと分かり、「テイ ユン タッタ…」 少しの間、レッスンもさせて頂きました。
でも、私は「本当は オディッシーがしたいの!!!」と、みんなに言いふらしていたのです。
すると、びっくり!!
ある日、イタリア人の方が新聞記事を見せてくれるのです。そこには、もうすぐ、オディッシー ダンサーのProtima Gauri Bedi女史により、バンガロール郊外にNRITYAGRAM という 少数精鋭のダンスヴィレッジが開校するということ、オーディションがあること、等が書かれていました。
私は、実は幼少期からクラッシックバレエをしていて、バレリーナになるのが夢でした。でも、あまりの才能の無さに断念、大学に進んだ、ということがあって、オーディションになど受かるはずがない、とは思ったのですが、とにかく先生宛にお手紙を書きました。
すると、数日後に先生からお返事が届き、
「あなたのことは、3ヶ月前から知っていました。だから、なぜ?とは訊かず、とにかく、すぐいらっしゃい!」と。。。
3ヶ月前というのは、私が、まさにインドに入る国境超えの頃。ケルチャラングルジとクムクム先生の公演を思い出し、ピピーっ!ときた、あの電波のようなオディッシーへの洞察を感じたとき、先生も夢で同時に感じてくださっていたのだ!!!
あまりの衝撃に開いた口が塞がらない状態のまま、さっさとパッキングして、バンガロールに向かいました。
バンガロールから約20キロにあるhesarghattaという小さな村。町から一人リキシャーで行ったのか、もう忘れてしまいましたが、そこで初めてお会いしたプロティマ・ガウリ女史… 先生は、私にこう言ってくださいました。
「3ヶ月前に、ゆみこという名前の日本人女性の夢をみたのよ。」
なんとも不思議なお話ですが、神様のお導きだとしか言えないこんなご縁にあっけにとられたまま、感謝と幸せいっぱいにここでの生活が始まりました。
花の宮祐三子(hananomiya yumiko)プロフィール
大阪生まれ。
大阪府立天王寺高校、広島大学総合科学部(文化人類学)卒業。
’89年 中国・パキスタンを経てインドへ一人旅、’90年、故プロティマ・ガウリ女史によってバンガロール郊外に開かれたばかりのNRITYAGRAM(The Dance Village)にて、インド古典舞踊 odissiを Padma Vibhushan 故ケルチャラン・モハパトラ グルジや、ガウリ・マ等から 住込みで修養。その後、瞑想と踊りの探究が続き、パートナーの住むスイスと日本を行き来する生活。様々なジャンルの音楽家とのコラボを含め、自然を感じ、魂の喜ぶ「舞い歌絵書き」も戯れ遊ぶ。インド・イギリス・スイス・アメリカなど、国内外での公演、寺社ご奉納、瞑想会や パートナーとの Inner touch ワークショップ等を行う。
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