サキーナ彩子(語)、田中晴子(まとめ)
日本のオディッシーダンサーでおそらく最年長のサキーナ彩子さんから、オディッシーの種が誰によってどんなふうに日本に蒔かれ、育ってきたかについて貴重なお話を伺いました。数回にわたってご披露します。
日本人はインド好き
日本の街を歩いていると、インド布の服やお香が店にあったり、カフェにチャイがあったり、インド映画がロングランで映画館にかかっていたり、インド芸能や学問が多くの愛好家に愛でられているのは言うまでもないが、インド文化が一般人の生活の中に浸透してきた感がある。「ナマステ」とか「マサラ」という言葉は定着しているし、インド料理の食材を街のスーパーで買うことができる。1980年代には珍しかったが今や、わりと小さな街でもネパール移民が経営するインド料理店が各地にある。ここ10年から20年の間に、日本人がインドで食べられているご飯を習ったり教えたり、マサラワーラーのようなイベントを行っているし、インドカレーがスパイスカレーというジャンルになっている。東京の「ナマステインディア」というインド文化を楽しむフェスティバルは1993年から続いていて大人気だ。ここ数年は、川崎のラタヤトラ、京都のオディシャデー、名古屋ヤタヤトラ、関東のラーマ寺院などでオディッシーダンスの故郷、オディシャに焦点をあてた催しも見られるようになった。日本人はインドが好きなのだ。
少し大きな視点で見ると、日本人の精神性は6世紀に中国から伝来した仏教と土俗の神道が混ざりあって形作られ、生活の隅々まで仏教の教えや習慣が行き渡っている。ところが明治のころから原始仏教を直接インドに赴いて学び直したいという動きがあった。日本人の心の根底に、インドへの憧れの気持ちがある。さらに遡ると、歴史学の世界では、あまり表立って取り上げられて来なかったが、仏教の伝来以前にインドの文化は日本にたどり着いていた可能性がある。オディシャの古代人が舟で海流に乗って日本にたどり着いた、という説もあながち間違いではないのではないか。それだからこそ、多くの日本人にとってインドの音楽や芸能がどことなく懐かしい感じがするのかもしれない。不思議なことに、ほかの東アジアの国々よりもよけいに日本ではインド文化が愛でられているような気がする。
種まき: 1960年代から1980年代
インド芸術と触れる
第二次世界大戦で敗戦を迎え、どん底にいた日本の経済復興が少し落ち着いた1960年代ころ、インドの踊りを披露する「榊原舞踊団」の存在があった。「榊原舞踊団」は日本舞踊家、榊原帰逸氏が1930年に結成した日本で最初の舞踊学校だという。榊原は1953年にインドの西ベンガル州のシャンティニケタンへ留学した。「榊原舞踊団」は世界に日本の文化を見せる活動をしていた。インドに行くと日本舞踊を披露し、日本国内では「オリエンタルダンス」と称してアジアの踊りを、とくにインド舞踊を紹介した。まだ日本の人々がインドの芸術に触れる機会のまったくない時代に大変、衝撃的だった。それを観てインド舞踊に惹かれた人がたくさんいたことだろう。
一方、インドのほうから著名な芸術家が来日するようになった。シタール奏者のラヴィ シャンカールは1958年にインド政府派遣文化使節団の団長として来日している。オディッシーダンスでは、1970年にサンジュクタ パニグラヒが大阪万博に参加している。ボノマリ マハラナ(パッカワージ)、モヒニ モハン パトナイク(フルート)、ビシュヌ モハン プラダン(シタール)が同行した。サンジュクタは1983年に再び来日している。このときは、ケルチャラン モハパトラ(パッカワージ)、ブバネシュワール ミシュラ(ヴァイオリン)、ラグナート パニグラヒ(歌)が同行した。1979か1980年に、リーラ サムソンとマダヴィ ムドゥガルが来日している。
1970年の大阪万博のオディッシー舞踊団。サンジュクタ パニグラヒ(左手前)、クンクミナ、ママタ、シェンハプラバらが参加した(サビャサチ パニグラヒのコメントより)。この写真はフルート奏者のモヒニ パトナイクからサキーナ彩子に贈られた。
1983年のサンジュクタ パニグラヒのコンサートポスター
インド大使館が主催したマダヴィ ムドゥガルのコンサート(写真 T. Monden)
参考資料:
河野亮仙の天竺舞技宇儀
『グル ケルチャラン モハパトラ』イリアナ チタリスティ著
プロフィール:
サキーナ 彩子
京都生まれ。オディッシー インド古典舞踊家。1981年初渡印。「スタジオ・マー」主宰、福岡を拠点に各地で独創的な作品を発表、献身的に後進の指導を続ける。門下生の濱脇亜由美は2010年以降デリーのカストゥリ パトナイクに師事し活動中。
:
田中 晴子
東京出身、米国サンフランシスコ郊外在住。オディッシー インド古典舞踊家、文筆家。コロラド大学宗教学科修士課程修了。晩年の高見麻子氏、高見が他界したあとはヴィシュヌー タッタヴァ ダス師に師事。高見から受け継いだ「パラヴィ ダンスグループ」主宰。クムクム ラール氏、ニハリカ モハンティ氏にも手解きを受ける。著書訳書:『インド回想記ーオディッシーダンサー 高見麻子』(七月堂、2019)、『オディッシー インド古典舞踊の祖 グル ケルチャラン モハパトラ』(イリアナ チタリスティ著、田中晴子訳、2021)、『数子さんの梅物語—北カリフォルニア マクロビオティック人生』(2023)
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