旅の始まり:二十歳の息子の一言
3月17日から10日間、中国を旅した。きっかけは、二十歳になった息子の何気ない一言だった。 「世界中がインフレなのに、中国はデフレ。行くなら今じゃない?」
その言葉に背中を押され、「じゃあ行くか」と軽く応じたものの、行き先を考えるうちに旅は次第に輪郭を持ち始めた。せっかく行くなら、ただの観光では終わらせたくない。私の中に浮かび上がったのは、「インドから伝わった仏教が、中国でどう展開したのか」という時間の流れを、自らの足で辿ってみたいという思いだった。
かつてシルクロードの東の終着点であった長安(現・西安)。そこには、時代ごとに異なる思想を携えた僧侶が集い、膨大な経典を翻訳し、思索を深めていった歴史がある。彼らの足跡を順に辿ることは、仏教という巨大な思想の成長過程を身体でなぞる旅になるのではないか――そんな予感があった。
北京という「入口」
まずは首都・北京に入る。万里の長城、天安門広場、北京大学。いずれも中国という国の歴史の厚みを感じさせる場所だ。
その夜、かつての大学の教え子である中国人女性と再会した。日本の大学で学び、その後、私の授業のアシスタントも長年務めてくれた彼女と北京ダックを囲んでいると、ふとした会話の中で彼女が言った。「実は、私の家系は周恩来(しゅうおんらい)の親族なんです」思わず箸が止まった。教科書の中の歴史的人物と、目の前の現実がつながる瞬間。歴史の持つ不思議な重みを感じる再会となった。
長安へ:圧倒的なスケールの違い
北京西駅から高速鉄道(ガオティエ)に乗り、西安へ向かう。時速350キロという速度もさることながら、窓の外に延々と続く高層マンション群に圧倒された。一つの街が終わっても、すぐに次の巨大な街が現れる。国土の広がりと人口規模の凄まじさを思い知らされた。
到着した西安は、かつての「長安」である。命を懸けて海を渡った日本の僧侶たちが、憧れ続けた聖地だ。駅に降り立つだけで、すでに巡礼が始まっているような高揚感に包まれた。
今回の旅の軸は、インド仏教の発展段階を辿ることにある。
1.初期仏教(部派仏教): 釈尊の教えを忠実に守る段階
2.初期大乗(中観思想): 「空」の論理による執着の打破
3.中期大乗(唯識思想): 「心」の構造を解明する緻密な体系
4.後期大乗(密教): 象徴や儀礼を通じた実践的覚醒
この流れは単なる年代順の記録ではない。「世界とは何か」「心とは何か」を問い続けた人類の思索が、深まり、変容し、実践へと回帰していくダイナミズムそのものだ。長安はこのすべてを受け止めた都市であり、ここを巡ることは仏教思想を体験的に理解することを意味する。
鳩摩羅什(くまらじゅう):思想が「言葉」に変わる場所
最初に訪れたのは、西安郊外にひっそりと佇む草堂寺(そうどうじ)だ。ここには、偉大な訳経僧・鳩摩羅什[注1]という僧のストゥーパ(仏塔)がある。竹林が鮮やかな赤いお堂に生えて実に美しい境内だった。
彼の存在は中国仏教において決定的だった。それまでの中国では、仏教を儒教や道教的な枠組みで解釈する「格義(かくぎ)仏教」が主流であり、本来の教えとはズレが生じていた。そこへ現れたのが鳩摩羅什である。インド人の父を持つ彼は、サンスクリット語の経典を正確かつ流麗な漢文に訳し、仏教を「生きた中国語」へと昇華させた。
彼が伝えたのは、龍樹(ナーガールジュナ)[注2]が体系化した「空(くう)」の思想である。「すべてのものは固定した実体を持たない」というこの世界観は、あらゆるものが関係性の中で成立していることを示す、柔軟で開かれた知恵だ。『法華経』や『阿弥陀経』など、今も日本で親しまれている経典の多くが彼の翻訳によるものだと知ると、この静かな古寺の空気が一変する。ここは、思想が言葉に生まれ変わった「聖誕の地」なのだ。
鳩摩羅什は晩年、「私の翻訳に偽りがなければ、死後も舌だけは焼けないだろう」と言い残したと伝えられる。実際に彼の「舌」を祀ったとされるストゥーパの前で手を合わせながら、その伝説の真偽に思いを馳せ、言葉を尽くして真理を運ぼうとした一人の男の、愛すべき意地を感じて、少しだけ微笑んでしまった。「本当かな?笑」
玄奘(げんじょう):知への執念が刻まれた地
午後、大慈恩寺へ向かう。ここは、あの『西遊記』の三蔵法師のモデルとして知られる玄奘三蔵の拠点だ。幼い頃、映画で孫悟空や玄奘を知り、仏教に触れるきっかけとなった私にとって、ここは特別な場所。境内に足を踏み入れた瞬間、感極まるものがあった。
玄奘は、当時の仏典の曖昧さに満足できず、国禁を破ってまでインドへ向かった。「真理を突き止めたい」という執念に突き動かされた彼は、インドの最高学府・ナーランダ僧院で100歳を超える高僧・戒賢(かいけん)に師事し、約5年間にわたり「唯識(ゆいしき)」を学んだ。
17年後、彼が持ち帰った唯識思想[注3]は、仏教の中でも極めて精緻な心理体系である。
- 世界は自らの「心の認識」によって成立している。
- 心の奥底には「アーラヤ識」という経験の蓄積がある。
- 私たちの経験は「種子(しゅうじ)」となり、未来を形作る。
つまり、私たちは「ありのままの世界」を見ているのではなく、「自らの心が作り出した世界」を見ているというのだ。
大雁塔(だいがんとう)に収められた膨大な経典を前に、私は圧倒された。私自身、たった一冊の専門書を翻訳した際にもその労力に疲労困憊した経験がある。一生を捧げてこれほどの分量を訳し続けた玄奘のエネルギーは、もはや知識の域を超え、真理に近づこうとした人間の凄絶な痕跡そのものに思えた。この深遠な思想を翻訳という過酷な作業を通じて中国、そして日本へと繋いだ玄奘のエネルギーに、改めて深い敬意を表さずにはいられなかった。
西安の夕暮れ
ふと気がつくと、陽は傾きかけ、空は茜色に染まり始めていた。夕陽を浴びて黄金色に輝く大雁塔、そしてその麓に立つ玄奘三蔵の像。その二つのシルエットが夕闇に溶け込み、重なり合う姿は、まるで玄奘の不屈の精神そのものが、この地に深く根を下ろしているかのようだった。その荘厳で美しい光景に、私はしばし時を忘れ、静かに手を合わせた。
宿に戻り、名物の「ビャンビャン麺」を食べる。幅広の麺を豪快にすする感触は、この土地のスケールの大きさに重なる。
「この麺の味や食感も、すべて私の心が作り出した幻なのだろうか?」 今日触れた唯識の教えを反芻しながら、ユニークな名前の麺を啜り、長安の夜は更けていった。(次号に続く)
【補注】
[注1]):インド人の僧を父としてもつ西域出身の僧です。亀茲国の王族であった耆婆(ジーヴァー)を母として亀茲国に生まれる。360年代 仏教における学問の中心地であったカシミールに遊学。原始経典や阿毘達磨仏教を学ぶ。彼はまず部派仏教:かつて「小乗仏教」と呼ばれていた初期の仏教を学び、その後、大乗仏教へと転向しました。そして大乗仏教の中でも、龍樹が体系化した「中観派」の思想を深く研究しました。401年に来長、翌年から翻訳を始めました。なお、晩年は還俗し僧院を出て十人の妓女を娶って妻帯し、私邸に居住するようになったという。
[注2]:龍樹(ナーガールジュナ)2世紀頃の南インドで大乗仏教の根幹を築き、「空」の論理を確立した高僧で、八宗の祖とも称されます。
[注3]:中期大乗仏教の思想で、5世紀頃にインドの僧であった無着(アサンガ)とその弟世親(ヴァスバンドゥ)によって大成されました。
藤倉健雄
Ph.D 教育演劇学博士。 ニューヨーク州立大学修士課程を経て、ウィスコンシン大学演劇学部博士課程修了。現在早稲田大学国際教養学部、および上智大学国際教養学部講師。プロのマイム集団、カンジヤマ・マイム主宰。演劇的要素の教育的応用を常に研究の柱としている。NHKテレビ「おかあさんといっしょ」の身体表現コーナー「パント!」の振付、監修を始め、様々な教育番組を振り付け、同時に出演している。日印文化交流ネットワーク幹事
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